「メディア上のインスタレーション」 マルセル・デュシャン(前編)@アメリカ現代芸術作家論

科学・技術が生む高精度の事物は機能と効率を求めて作られています。 しかし、何も機能と効率の脈絡からばかり事物や世界を見る必要はないのです。また、かといってかつての芸術の見方に縛られる必然もある訳ではないのです。なぜなら芸術もすでに時代のなかで、趣味の機能を果たすだけのものになっていたからです。
  デュシャンは、近代画家が自己の最上位にすえてきた感覚・感性を放棄し、考える自由、即ち新たな世界の見方を概念としてつくりだす精神の自由を芸術表現の最上位にすえました。

ようやっと現代美術の訳のわからなさの意味が少しわかった気がする。


それにしても、多くの人々が欲する共通の美的存在(例えば神とか)がある場合、
それを表現できない一般人に代わって芸術家がそれを表現する意義は容易に理解できるが、
自由な世界の解釈を追い求めるとなると、そもそもそんなものを欲しがっているのかどうか。
それに、それは芸術家の仕事なのか?


うーん。自由な世界の解釈は誰しもが自由に行えばよいことだが、
既存のものと異なる卓越した「解釈」というものを、
既存の解釈の中で生きている一般人に伝えるには優れた表現力が必要なわけで、
それが芸術家が持つべき能力であり、またそれを行えることが存在意義なのか。


観察力と解釈力と表現力。研究者と一緒やね。


なんかまとまっていないけど、自分の中で少し納得。
図らずも表現力不足を露呈してしまっていますが。